“物語”を運ぶモノとしての坂

 

 坂について私は素人だが、非常に興味深いのは、戦後のある時期を境に坂標が増えたというお話だ。私のところのご近所にも沢山ある。団子坂、下戸塚坂、夏目坂、わずか100m以内に3つの坂と坂標がある。私は日々その前を通るたび、脳細胞の減りつつある頭に、否応なくその坂の歴史を毎度インプットし直すことになる。革新的(?)なウォーキング学習だ。いわば坂標は坂にまつわる“物語”の記憶マシーンであり、全くもって、このモノによる記憶効果は抜群である。もし今後私がなんらかの暗記試験を受けなければならないとしたら、付近の建物や電柱一つ一つに問題の解答の載った紙を張り出し、日々散歩して暗記するだろう。

 よく考えてみれば、私たち人間の文化の根底には“物語”がある。“物語”のない社会は長続きしない。この坂にはこういう歴史があった、この街にはこんな話がある、友達と自分の間にはこんなエピソードがある、などと日々の生活の中に“物語”は仕掛けられてきたはずだ。「あなたのお父さんやお母さんはこんな立派な人なのよ。」そう言われて育った子供は大方自分のことを誇りに思うだろう。「この学校は創立者のこのような理念によって創られました」「弊社は、医療を通して社会に貢献することを目的として創立されました」。何故こんなことを学校案内や会社案内に書くのか? 理由は簡単! “物語”がないものに人間は共感しないし、共感しないモノを簡単に人間は記憶しないからである。記憶があれば自然と行動はそれに従うのだ。素敵な“物語”は人間に肯定的なメッセージを送る。

 坂標は街の“学校案内”のようなものだ。ささやかな“物語”を語ってくれるテロップである。主役は坂そのもの。実は坂は“物語”を運ぶモノなのだ。

 少し話が逸れるが、ローラン・バルトの話をしよう。彼は、京都にも滞在したことのあるフランスの記号学者だが、その著作が革新的だったのは、街に転がるモノと意味についての体験を鋭い感性と分かりやすい文章で説明したことだろう。彼は建物やモノの本来の“意味”が、別のことを“意味する”(あっちの言葉では受身形の“意味される”)ようになると言い、それをエッフェル塔や日本や映画など身近なモノを挙げて分かりやすく説明している。試しに、彼のいうシンボルと意味の関係を挙げてみよう。例えば彫像。スターリンの彫像は、ソ連崩壊以前とそれ以降では社会の中で意味が変わってしまった。ソ連崩壊以前は理想の革命者、崩壊以降は庶民を弾圧する圧政者という意味合いになった。その結果、彫像の多くが民衆の手で引き倒され破壊された。社会情勢の変化で正反対へ彫像の意味は変わってしまったわけで、モノには“物語”、記憶が宿るため、嫌な記憶であればモノが破壊されることもあるのだ。

 坂は、地形の高いところと低いところを結ぶ道である。だが、これ以外に意味することがある。そのひとつは、江戸の街の中で、坂は身分の高い者と低い者をつなぐ場所でもあったということ。いわば身分格差のシンボル。地盤の良い坂の上は身分の高い大名屋敷や旗本の屋敷や神社仏閣が多かったが、それ以外の身分の低い者は坂下のごちゃごちゃしたところに住んでいた。坂下にはゴミ捨て場もあった

 ふと江戸時代に坂を歩いていた人たちを思い浮かべてみる。肥やしを大名屋敷から買ってきて、よっこらしょっと、運ぶ農民の姿。舗装もされていない坂道を下るのは、さぞかし大変なことであっただろう。あるいは坂下にゴミを捨てに行く旗本の使用人。そのゴミで江戸城周りの水路は埋め立てられていった。大名屋敷には何百坪という広大な庭があったが、坂下の庶民の家は盆栽を置くのがせいぜいの人口密集地であった。21世紀の今、坂上と坂下の町を結ぶ坂を歩いていると、ふと坂上と坂下の町割の違いに気が付くことがある。過去の“物語”を坂や街が優しく教えてくれるのだ。

(2007年10月 文責:古田 マリ)

|トップページへ