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「坂学会」 2012年度巡検《第2日》

奈良の坂 巡検

報告: アオヤギ。

日時: 2012年11月11日(日) 近鉄奈良駅 集合
参加者: 10名
歩いた坂の数: 7坂
奈良阪、般若坂、猫段、雲井阪、不開坂、辷坂、五十二段


晴れ男、晴れ女が去ったせいでしょうか。
前日の「大阪巡検」は素晴らしい日和になったのに
一転して寒い怪しい空模様となってしまいました。


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奈良市は 東側に若草山、春日山、高円山などの山が控えているため 坂道は 多いのですが 残念ながら名前がついていません。
さらに 今回歩いた坂も 標識があるのは 「雲井阪」のみ。石の立派なものなのですが 説明などはありません。
他の坂については 両方ともありません。

滝阪、鼓坂、忍坂など 坂の付いた名前はあるのですが 単に地名だけなのか そこにあった坂道の名前なのかは分からないので とりあえず名前の分かっている市内にある7つの坂を 歩いていただきました。
なお、巡検の日に写真は撮れなかったので 写真はすべて事前に写してあったものか 又は後日写したものになります。
当日と雰囲気が変わっていますので念のため。 

凡例
 赤線:坂探訪のルート
 左上の「+」をクリックすると拡大
 左上の「−」をクリックすると縮小
 黄色のピンは坂の位置を示す
    クリックすると坂名を表示
 地図は上下左右にスクロールできる
より大きな地図で ◎奈良の坂 巡検◎ を表示


まずは 市内で一番遠くにある奈良阪へとバスで向かいます
山城の国、京都から奈良へとやってくる坂道です。

一つ手前のバス停で降りて ちょっとだけ奈良阪を歩いてもらいました。
ここで振り返ると 東大寺の大仏殿が見えるのです。
京都へ向かう旅人は ここで奈良へ別れを告げて坂を下り京都からやってきた旅人は 光り輝く紫尾を目にすると いよいよ奈良へやってきた...と安堵したのではないでしょうか。
三月に行われる東大寺二月堂の「お水取り」では 京都から真竹が送られて来ますが この奈良阪からは人々の手で 東大寺まで運ばれて行きます。

奈良阪と呼ばれた坂は 三本あったそうですが 現在残っているのは ここです。「奈良阪」バス停の分かれ道。右側の少し低い細い道が「般若坂」となります。ほぼ並行した坂道なので長さもほとんど同じです。
京都は手前になります。

ここからは「般若坂」を下って行きます。
名前の由来は 途中に般若寺があるからです。

般若坂には この般若寺のほかにも見所がいくつかあり せっかくですので ちょっと寄り道をしてみました。

寄り道 その1。
奈良豆比古神社。ご神木の立派な樟を見ました。

幹を囲むには 5人以上は必要でしょう。

寄り道 その2.
般若坂を下ってくると右手奥に まるでお城のような、奈良のイメージとは一味違う建物が見えてきます。
これが 奈良少年刑務所です。
あまり近づきたくはありませんが 見るだけでしたら...

佐保川に架かる橋を渡れば 般若坂。
住宅地の中を くねりながら奈良阪へと合流してゆきます。

般若坂を下ってきて ここからは 369号線を緩やかに上ってゆきます。
このまま進めば 登大路への雲井坂へと続くのですが 早くも三つ目の寄り道です。

寄り道 その3.
転害門(てがいもん)を通り過ぎたところに 正岡子規と縁のあるレストランがあります。昔は旅館だった所ですが その庭の一部が「子規の庭」として保存されています。寄ってみましょ。

子規が食べたかもしれない柿がなっていました。
子規が聞いた鐘の音は 法隆寺ではなく東大寺の鐘だったはず。
中居さんに皮をむいてもらって ここで柿を食べたはず。
なのに あの一句は 法隆寺になってしまってますね。

こんな立派な「トヨカ柿」がなってます。

転害門まで戻り ここから東大寺境内に入ります。
季節がら 人の少ない境内を抜けて 次の目的は 会員のMさんに教えていただいた美しい坂「猫段」です。
地元の方に聞くと昔は土の坂だった...とのことですから 数十年前に石段に整備したのかもしれません。
春夏秋冬 絵になる風景の坂です。

鐘楼へと続く猫段を上がったところで昼食。
行き当たりばったりの食事処となりました。

寄り道 その4.
ここまで来たら もちょっと上って是非とも二月堂の舞台へも行きたい。
ここはとても気持ちのいい場所です。

この写真は 春のものですが 実際に歩いているのは秋...
寒いし日暮れも早いので 先に進みましょう。
大仏殿もちょっと拝観し 戒壇院脇を通って また369号線に戻ります。
そこは 唯一標識のある「雲井阪」。

とても立派ですが 名前だけ。説明が欲しい。
ところで 「〜八景」というのは各地にありますが 奈良にも「南都八景」と言われているのが有ります。
その一つが 「雲井阪の雨」。そしてこの標識のすぐそばに「轟橋」という碑も残っているのですが「轟橋の旅人」というのもあります。
この日はまさに「雲井阪の雨」だったのですが いまや立派な車道で古の面影はうかがえません。

一応「轟橋」の碑も載せておきましょう。

東大寺に別れを告げ 残り三つの坂がある興福寺へと向かいます。
まず、北円堂横の「不開坂」(あけずのさか)へ。
この坂は たまたま興福寺の講座に出席した時に お坊さんの口から飛び出した名前です。
その帰り道に 大急ぎで(忘れないうちに)場所を確認したところです。
真っ直ぐなかなり急な坂道です。

標識もなにもありませんが 近所に住んでいる人たちにとってはごく普通に口の端に上るようです。
修行を終えたお坊さんが 最後の授戒を受けられなかった時には お寺を出て行かなければならないのですが その時にこの坂に有った門を通って辞去したのだそうです。

東向き商店街を抜けて 不開坂と並行するように今度は上る坂、「辷坂」(すべりざか)です。
昔からのお店の方に聞くと 「はっきりは知らないけど 冬になると急で滑って上りにくいかららしい...」


奈良市内で一番賑やかな坂道かもしれません。

最後の坂、「五十二段」は この辷坂から下りてゆきます。

手前が辷坂、階段下に見える水色の部分は 猿沢の池です。

修学旅行生の記念写真で人気の場所でもあります。

悪天候の中、大急ぎで歩いた奈良の坂道でした。
奈良は観光資源がいっぱいあるせいか 坂の名前?という感じであまり関心がないようです。 観光案内所などへ行ってみても「マニアックな趣味ですねぇ」などど言われるのがオチで 坂道に関するまとまった資料などもなさそうなのが残念でした。

なかなか交通の便が良くない奈良ですが 思い切って来て下さったみなさま、有難うございました!
坂道はちょっとおいておいて、 奈良は 朝と日が暮れてからの夜がいい町。
ぜひとも 次回はゆっくりといらしてください。


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