長崎の坂

「坂学会」 2011年度巡検
報告者  盃=sakazuki 

日時   2011年10月15日(土)・16日(日)13時
集合場所 長崎市 ホテル・ニュータンダ ロビー
参加者  6名

巡検した坂
1日目 15坂
     (西坂 幣振坂(東本願寺) 小川町の坂 玉園街の坂 長坂 松の森通り坂)
     オランダ坂(活水坂) オランダ坂(誠考院の坂) 相生地獄坂
     グラバースカイロード 祈念坂 ロシアコンスイ坂 ドンドン坂
     プール坂 下り松オランダ坂
2日目 20坂
     十人町の坂 館内の坂 勅使坂 忍び坂 山崎屋の坂 丸山オランダ坂
     金剛院の坂 崇福寺の坂 幣振坂(皓台寺) 幣振坂(長照寺) 龍馬通りの坂 ゆうれい坂
     大井手坂 代官坂 囁き坂 豊後坂 厳流坂 大音寺坂 県庁坂 ピンコロ坂

今回は5名がオプションとして13日に「平戸」へ一泊する行程をとった。
「平戸の坂」もいくつか巡ることが出来たが、そのレポートはここでは除くことにする。
14日夕は長崎泊となったため 15日午前は本番前に( )内の坂を歩くことができた。

今回の資料
  「長崎坂づくし」村岡豊(HP)
  「長崎史情散歩」下瀬隆治著 ・1985長崎ユネスコ協会刊
  「長崎街道」永島正一・S48親和銀行済身会刊(親和文庫9)
  「長崎文化No41特集長崎の坂」(県立長崎図書館蔵)
  「長崎さるくコースマップ」 長崎国際観光コンベンション協会
  「長崎坂道散歩」真木雄司 春光社
  「復元!江戸時代の長崎」布袋 厚 長崎文献社

(資料および写真の一部は M氏提供)  .


第1日午前
長崎の坂  10月15日(土)午前
長崎駅

 本番は午後からだが、午前中に番外編としてスタートを。準備として長崎市内の交通網資料入手のため長崎駅に向かう。
主な交通手段は縦横に走る路面電車を利用することにと路線図 地図等を探す。流石観光都市を謳っているだけに豊富に揃えてある。

構内にあるチラシ等をくまなくチェックして、ゲット。駅から近い西坂へと出発!


@ 西坂

西坂の丘(現在は西坂公園)へ上がる坂。
坂が春徳寺から見て西側にあり、浦上方面へ行く浦上街道の坂道だったので古くから西坂と呼ばれていた。キリシタン禁止令で捕らえられた外国人宣教師と日本人イエズス会修道士・信徒26人が殉教した地でもある。(坂標は無い)

結構勾配があり、坂上には不思議な建物が待つ。坂の途中左の石段を上がれば西坂公園・日本二十六聖人殉教地。

戦国時代、長崎には、たくさんのキリシタンが住んでいました。しかし、天正15年(1587)、豊臣秀吉は長崎がイエズス会に寄進されていることに怒り、バテレン追放令を出しました。されに、その10年後には京都は大阪などの信者や宣教師を捕らえ、見せしめに長崎に送って処刑することにしました。処刑された場所が西坂の丘。26人は書家から265年との文久2年(1862)、聖人に列せられました。
   (長崎 さるく)

 西坂公園・日本二十六聖人殉教

西坂の丘 
昭和30年(1955)に、西坂はカトリックの公式巡礼地に指定されました。昭和56年(1981)には、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も来訪しました。処刑された2月5日には、毎年夕方からミサが行われています。ちなみに26人が聖人に列せられた3年後慶応元年(1865)に、彼らのために殉教の聖地に向けて建てられたのが大浦天主堂。正式名を日本二十六聖殉教者天主堂といいます。 ( 長崎さるく)

 坂上の聖フィリッポ教会(西坂協会)

記念館と同時に建てられた教会。設計者の今井兼次氏は、アントニオ・ガウディを日本に紹介した人物としても有名です。2本の塔は、地上の祈りが左の塔(祈りと賛美の塔)から点にのぼり、聖霊の賜物を表す右の塔から地上に恵が降りてくることを表しています。教会の壁と塔に埋め込まれているのは京都から長崎までの道沿いで作られた焼き物等で、彼らが歩いた道のりを表しています。
 (長崎さるく)

 西坂の上と下を結ぶ階段。車の往来のする坂を避けて、この階段が歩行者には生活道路となって利用されているようだ。植栽や街灯が階段に彩りを添えている。


 本蓮寺前を通る。

勝海舟寓居の地
幕末の幕臣・勝海舟は、長崎海軍伝習所で航海術などを学んだ時期(1855〜1859)塔頭・大乗院に4年ほど滞在しました。優等生だったとされる海舟は、伝習所では「勝麟さん」と伝習生から親しまれ、教官のペルス・ライケンも「勝さん」と呼んでいたとのこと。     (長崎 さるく)

A 幣振(ヘイフリ)坂 (東本願寺)

東本願寺東側の階段(筑後町)
幣振坂の名前は、寛永11年(1634)、諏訪神社の一の鳥居に使用するための石材を麓に降ろした際、宰領が御幣(紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具)を振って、人夫達を鼓舞したことに由来するとも言われています。長崎では、この坂のほか皓台寺と大音寺の間と延命寺と長照寺の間の坂も幣振坂と呼ばれています。長崎でロケがおこなわれた映画「解夏」の冒頭に登場する「井戸」が坂の途中にあります。  (標識より)

 階段がずっと続く、これぞ長崎は「坂の街」の醍醐味。坂上からは市街が一望。
 ここが生活道路?否、坂上は墓地になっている。意地で上がった一行。一気に181段!

B 小川町の坂

長崎市上町と中町の間を桜町へと下る坂
現在では坂というほどの傾斜は感じられないが。電車通りへと出る通り道とされていたのだろうか。(坂標は無い)

横切る道にはこんな楽しいオブジェが

C 玉園町の坂

玉園町 玉園幼稚園前の坂。諏訪神社のある玉園山の下にある町の意で、昭和38年旧上筑後町と東上町及び下筑後町の一部が合併して玉園町になった。(坂標は無い)


この辺りの坂(階段)は背後の斜面地が寺、墓地に
なっている。長崎市の原風景を偲ばせる。

途中、西園寺公望仮寓跡を通る。


玉園町通りを突き当たると、長崎歴史文化博物館に出る。立派な建物にビックリ!本来ならばここでゆっくり下調べの勉強をしたいところ。大河ドラマ「龍馬伝」で賑わっていた。


長崎歴史文化博物館



博物館裏の広い敷地、崖下にいくつか入り口が見える太平洋戦争中、長崎県防空本部の防空壕として使用されていた。歴史的空間なので入って見たかったが、雨が振りそうな空模様なので先を急ぐことにした。

立山防空壕跡
長崎の原爆投下の一報はここから発信されたとか・・
   長崎市・立山防空壕

D 長坂

西山町 諏訪神社、大門前の坂。毎年この場所で秋季大祭「長崎くんち」の奉納踊りがある。73段の石段で奉納踊りが正面から見られる特等席となる。(坂標は無い)






長崎の総氏神様だけあって、壮大な景観  


私は眼前の階段に圧倒され、階下でお留守番。何人かはちゃんとお参りに向かう。


雨が降り始めて来た。傘を持たないメンバーもいるのでそろそろ引き上げることに。
六角堂の坂はキャンセルとして、松の森通り坂へと向かう。
「長崎は今日も雨だった」は本当だった。
石畳には雨がいい。

E 松の森通り坂

上西山町。諏訪神社の参道の途中を松森天満宮(松の森神社)へと向かう道が松の森通り。参道前に来るとかなり傾斜がある坂となる。(坂標は無い)



 この辺りにはまだまだ見所 スポットはありそうだが、 雨脚が強まったことと、午後 からの本番前に昼食をとらねば と最寄の諏訪神社前駅に急いだ。


第1日午前
 top_pageへ