坂のプロフィール 地域・No. 島根県・松江市−2
報告者 totte
報告日 2012年01月06日
登録日 2012年01月07日

 

坂名 黄泉比良坂 (よもつひらさか) 別名 伊賦夜坂(いふやさか)
所在地 地図g  松江市東出雲町揖屋平賀
目印  揖屋小学校の東で国道9号線(山陰道)から南に別れ,附谷地区の住宅街途中から 追谷坂を経て駐車場に至る。駐車場の奥に,しめ縄を渡した2本の石柱があり,さらにその奥に “千引きの大岩”と呼ばれる大きな岩がある。ここが「黄泉比良坂」の入口。
 北から通じる車道もある。
坂の特徴 坂の方向  
長さ  
斜度  
形態 (黄泉比良坂は 黄泉の国とこの世をつなぐ坂であり,この世には黄泉比良坂の“入口”しかなく,坂の実体は存在しない。)
標識  含水池のそばに説明板が設置されている。
黄泉比良坂 (よもつひらさか)

 黄泉(あの世)の国と現世の境界の地として古事記上巻に,伊邪那岐(いざなぎ)命が先立たれた最後の妻,伊邪那美(いざなみ)命を慕って黄泉の国を訪ねていかれた入口が,この地(黄泉比良坂)であるとされている。別名「伊賦夜坂(いふやざか)」の起源でもある。昭和15年に「神蹟 黄泉比良坂伊賦夜坂 伝説地」と刻んだ石碑が設立された。 </div>
由来 他  黄泉の国へ通じる道を「黄泉比良坂」という。黄泉比良坂は 出雲国の伊賦夜坂である。(古事記)
 黄泉比良坂は 死に際の息絶えるか絶えないかの境を言う。(日本書紀)
 黄泉之坂という名前は出てくるが,伊賦夜坂を黄泉比良坂とする記述はない。(出雲国風土記)

‥‥いずれも神話の話である。
 伊邪那岐命が伊邪那美命に追われて黄泉の国から逃げ帰ってきた時に,「黄泉比良坂」まで逃げきり,その入口を大きな岩でふさぎ離縁を宣言した。その「黄泉比良坂」は出雲国のこの坂だとされている。
「黄泉比良坂」は“日本最古の坂”と言われる。
命名時期  古代
参考文献  古事記、日本書紀、出雲国風土記など 資料多数有
写真 撮影日  2011年12月8日 撮影者  totte

国道9号線からの分かれ道
国道9号線からの分かれ道。
黄泉比良坂への矢印は国道をそのまま進むように
なっているが 手前の右へ入る道を歩いてゆく。
住宅地の中の道を歩いてゆくと 左手の藪へ入るところに看板が出てくる
住宅地の中の道を歩いてゆくと
左手の藪へ入るところに看板が出てくる

追谷坂を経て黄泉比良坂に至る。
「徒歩3分」よりは数分長くかかるような
感じであった。
黄泉比良坂の終点(?)または 入口
黄泉比良坂の入口
石の柱にしめ縄のつもりなのか 縄が渡してあるがかなりボロボロになっていてみすぼらしい。ここが黄泉比良坂の「生と死」の境であろうか。
石の柱にしめ縄のつもりなのか 縄が渡してあるが
かなりボロボロになっていてみすぼらしい。
ここが黄泉比良坂の「生と死」の境であろうか。
奥にあるのが 「千引の大岩」。この奥に路らしきものがあったが 行き止まりのように見えた。
奥にあるのが「千引の大岩」。
この奥に路らしきものがあったが 行き止まりの
ように見えた。
昭和十五年に建立されたという石碑。「黄泉平坂」「伊賦夜坂」と読める。
昭和十五年に建立されたという石碑。
  神蹟
  黄泉平坂・伊賦夜坂 伝説地
  皇紀二千六百年事業として 当時の町長が建立

と読める。
説明板がいくつもあるが読めなくなっているものもあった。
説明板がいくつもあるが
読めなくなっているものもあった。

[島根県の坂」リスト">へ全国の坂リスト へ