坂のプロフィール 地域・No. 東京・調布市−46
報告者 江口 正紀
報告日 2010年12月13日
登録日 2010年12月13日

 

坂名 多聞院の坂(北) (たもんいんのさか) 別名
所在地 地図g  深大寺元町5丁目
目印  深大寺小学校の西側にある。坂下北側に「不動の滝」、南側に「そば処多聞」がある。坂上に「青渭神社」がある。
坂の特徴 坂の方向  北東へ上る
長さ  100m
斜度  高低差:12m、坂下標高:40m(平成12年8月1日国土地理院発行の地形図、調布より演算)
形態  左に曲がる曲線で上る整備された階段坂、階段上は直線でなだらかに上る。
標識  坂下に、平成5年3月吉日 調布市長吉尾勝征書の「多聞院坂」の標柱と平成2年3月26日調布市教育委員会建立の「深大寺小学校発祥の地」の標柱がある。

深大寺小学校発祥の地
深大寺小学校は、明治5年の学制令に基づき深大寺村戸長富沢松ノ助と浅田種蔵等村内有志がはかり、深大寺の末寺であった多聞院の建物を借りて、明治6年(1873)に設立された。このあたりが多聞院のあった場所であり、深大寺小学校発祥の地である。この地つづきに建つのが現在の深大寺小学校である。
開校当時は、「弘道学舎」と称し、その後、「階梯学舎」と改称され、「深大寺学校」という名に改められたのは、明治8年のことである。
開校当時の生徒数は、男子43名、女子16名で、職員は3名であった。深大寺、佐須、柴崎の三村を学区としたという。
 また
邑(ムラ)ニ不学ノ戸ナク 家ニ不学ノ人ナカラシメン」明治5年(1872)8月に発布された学制令は、わが国の近代的学校制度の基本となるもので、その目的はすべての国民を教育しようとするものであった。
この地でも、いち早く学校設立の運動が起こったが、当時の村にとって直ちに学校を建て、教育の仕組みをかえることは、経済的にも行政的にも容易なことではなかった。このような情況の中で、村民有志の努力により、従来の寺子屋を改編して学校は徐々に設立されていった。
とある。
由来 他  現深大寺小学校プールの場所に昔あった深大寺の子院多聞院と不動堂との間にある。近年階段として整備、面目一新。〔調布の古道・坂道・水路・橋:67頁〕より。
命名時期  
参考文献  調布市文化財調査報告書〔調布の古道・坂道・水路・橋〕調布市教育委員会、平成13年12月10日発行
写真 撮影日  2010.11.12 & 12.12 撮影者  M.Eguchi

坂下より坂上方向
@多聞院の坂:坂下より坂上方向
坂途中より坂上方向
A多聞院の坂:坂途中より坂上方向
坂上
B多聞院の坂:坂上
坂下全景
C多聞院の坂:坂下全景
深大寺小学校の標識
D多聞院の坂:
深大寺小学校は、多聞院の建物を借用して
開校したことを示す標識
坂下にある「不動滝」
E多聞院の坂:坂下にある「不動滝」

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