坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−60
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年03月11日
2014年02月05日 写真入替
登録日 2010年8月26日

 

坂名 S坂 (えすざか) 別名 権現坂(ごんげんざか)
新坂(しんざか)
所在地 地図g  文京区根津1丁目
目印  根津神社の正面(南側)の大鳥居前から,東京大学野球場の裏側を上る道
坂の特徴 坂の方向  坂下は北西に,坂上は西に向かって上り
長さ  140m
傾斜  やや急坂(高低差10m,平均斜度4.1度)
形態  坂下部分がS字形に曲がる
標識  坂下の根津神社鳥居前に,文京区が設置した標識がある。
新坂 (権現坂・S坂)  文京区根津一丁目21と28の間
 本郷通りから, 根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため, 新坂と呼んだ。 また, 根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。
 森鴎外の小説『青年』(明治42年作)に.「純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。 ……右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲, 左は出来たばかりの会堂(注・教会堂 今もある)で, …… 坂の上に出た。 地図では知れないが, 割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。 ……」とある。
 旧制第一高等学校の生徒たちが, この小説『青年』を読み, 好んでS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近くの観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。
 根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。 五代将軍徳川綱吉が, 綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき, その産土神として, 団子坂北の元根津から, 遷座したものである。
          文京区教育委員会      平成14年3月
由来 他  道の形がS字状であるため森鴎外が命名し,旧一高生たちがこの名で呼んだ。(標識より)
命名時期  明治時代
参考文献
写真 撮影日  2008年1月,2013年11月 撮影者  M.Ogawa


坂上側から見る
坂上側から見る
坂下側から見る
坂下から見る
S坂(新坂) 標識
S坂(新坂) 標識

「東京23区の坂」リスト | 全国の坂リスト