坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−26
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年08月12日
2011年11月08日 (「由来」欄ほか)

 

坂名 開運坂 (かいうんざか) 別名
所在地 地図g  文京区大塚5丁目と6丁目の間
目印  護国寺の裏手に当たる住宅地の中。生長の家会館の前。近くに 豊島岡墓地,大塚先儒墓所 などがある。
坂の特徴 坂の方向  坂下は南西に,途中南東に曲がり,坂下は南西に向かって上り
長さ  130m
傾斜  緩やか(高低差4m,平均斜度1.8度)
形態  クランク状に曲がる
標識  坂の中程に,文京区が設置した標識がある。
開運坂
 坂名の由来については よくわからないが,運を開く吉兆を意味するめでたい名をつけたものであろう。
 このあたりは, 富士見坂(大塚3丁目の交差点から護国寺前)の下であるところから,旧町名を大塚坂下町といった。それでこの坂の下の道を坂下通りとも呼んでいる。
 坂の上の南側には, 5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院(けいしょういん)の願いで建てられた護国寺がある。護国寺の東側には, 明治6年(1873)に開かれた豊島岡(としまがおか)墓地(皇族墓地)がある。
 豊島岡墓地の東側は, 大塚先儒(せんじゅ)墓所である。江戸時代の公明な儒学者である, 木下順庵(きのしたじゅんあん), 室鳩巣(むろきゅうそう), 尾藤二州(びとうにしゅう)や古賀精里(こがせいり)などの墓がある。

     “護国寺に住みている鳩 屋根はなれ
          高く飛びおり 春日の空に”   窪田空穂 (1877〜1967)

                  文京区教育委員会   昭和56年7月

由来 他  かつて坂上に講道館の開運坂同上があり,海南生著「閑雲去来」(『有効の活動』対象11年3月)には「支藩(嘉納治五郎)が開運坂と命名された」とある。(「ぶんきょうの坂道」より)
 (標識には「坂名の由来についてはよくわからない」と書かれているが,下記文献の改訂版に由来が明記された。)
命名時期  
参考文献  「ぶんきょうの坂道」文京ふるさと歴史館発行 平成20年改訂版
写真 撮影日  2001年9月 撮影者   M.Ogawa


開運坂 開運坂
開運坂 標識
開運坂

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