坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−34
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年8月12日

 

坂名 清戸坂 (きよとざか) 別名 清土坂(せいどざか)
所在地 地図g  文京区目白台2丁目
目印  目白通りの“目白台2丁目”交差点から 北東に向かう道路。
坂の特徴 坂の方向  南西に向かって上り
長さ  310m
傾斜  緩やか(高低差8m,平均斜度1.5度)
形態  直線状
標識  この坂の標識は,文京区の建てたものと 東京都が建てたものと 2つある。珍しい現象である。

 [文京区が設置した標識]

清戸坂  (きよとざか)  (清土[せいど]坂)   [文京区設置の標識]
 延宝4年(1676年),御三家 尾張徳川家の御鷹場が 中清戸(現 清瀬市)につくられた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の目白通りである。
 首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から 目白通りに向かっての広い道は,昔から“清戸道に登る坂”ということで『清戸坂』といわれた。
 江戸時代,この坂の北側一帯は,雑司ケ谷村の畑(現在の雑司ケ谷墓地)で,坂の道に沿って 雑司ケ谷清土村百姓町があった。
 明治10年代から 坂の北側には牧場と牧舎が建ち,平田牧場と言った。牛乳を売る小売店があり,人々が休憩した。旗竿には,『官許の牛の乳』と仮名と,ローマ字で書かれていたという。
                  文京区教育委員会   昭和62年3月

 [東京都設置の標識]

清戸坂  きよとざか (せいどざか) 
 目白台上の目白通りは,江戸時代清戸道といった。中清戸(元清瀬市内)に御鷹場御殿があり,将軍が鷹狩に通う道が造られた。これが清戸道である。
 この清戸道から護国寺に下るわき道が 清戸坂で,清戸道へ上る坂ということで 坂名がつけられた。
 坂道の北側に,雑司谷清土村があったので,清戸坂とも呼ばれた。
                  東京都   昭和58年3月
由来 他  目白通りは,江戸時代“清戸道”といった。ここから護国寺に下るわき道が 清戸道へ上る坂ということで この坂名がつけられた。 (標識より)
命名時期  江戸時代
参考文献
写真 撮影日  2001年8月, 2003年1月 撮影者  M.Ogawa


清戸坂 清戸坂
清戸坂
文京区設置の標識
清戸坂

清戸坂 清戸坂
清戸坂
東京都設置の標識
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