坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−104
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年8月28日

 

坂名 見送り坂 (みおくりざか)  別名
所在地 地図g  文京区本郷4丁目
目印  “本郷三丁目”交差点から40mほど北(菊坂の入口近く)にある「別れの橋跡」まで。ここから北側は「見返り坂」,
坂の特徴 坂の方向  南に向かって上り
長さ  40m
傾斜  傾斜は感じられないほど 非常に緩やか
形態  直線の短い区間。標識のある辺りが谷になっていた。
標識  菊坂入口のやや南の報道上に,文京区が設置した標識がある。
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂      本郷4-37先 本郷通り
「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと・・・・・・いずれのころにかありし,此辺にて大きなる石を掘出せり。是なん かの別れの橋なりしといひ伝へり・・・・・・太田道灌(1432〜86)の頃罪人など此所よりおひはなせしかば,ここより おのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。
この前方の本郷通りは ややへこんでいる。むかし,加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ,菊坂の谷にそそいでいた。『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には,「勧業場所(注・現文京センター)」の辺は,地層やや低く,弓型にへこみを印す,其くぼめる所一条の小渠(しょうきょ),上に橋を架し,別れの橋といひきとぞ」とある。
江戸を追放された者が,この別れの橋で放たれ,南側の坂(本郷3丁目寄)で,親類縁者が涙で見送ったから 見送り坂。追放された人が ふりかえりながら去ったから見返り坂といわれた。
今雑踏の本郷通りに立って 500年の歴史の重みを感じる。
文京区教育委員会   昭和59年3月
由来 他  昔,江戸を追放された者が,この別れの橋で放たれ,南側の坂で親類縁者が見送ったから「見送り坂」。追放された人が 振り返りながら去ったから「見返り坂」といわれた。(標識より)

かつては,標識のある辺りが谷になっていて,菊坂の谷から本郷通りを横切る流れがあったらしい。

命名時期  江戸時代
参考文献
写真 撮影日  2002年10月 撮影者   M.Ogawa


見返り坂 見返り坂
 
見返り坂・見送り坂 標識
見返り坂

 

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