坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−119
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年9月16日

 

坂名 弥生坂 (やよいざか) 別名 鉄砲坂 (てっぽうざか)
所在地 地図g  文京区根津1丁目と弥生2丁目 の間
目印  言問通りの‘根津1丁目’交差点から東大工学部付近まで
坂の特徴 坂の方向  南西に上り
長さ  290m
傾斜  緩やか(高低差12m,平均斜度2.4度)
形態  ほぼ直線
標識  坂の途中に文京区が設置した標識がある。
弥生坂  やよいざか  (鉄砲坂)
 かつて,このあたり一帯は「向ヶ丘弥生町」といわれていた。
 元和年間(1615〜24)の頃から,御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部,地震研究所)であった。隣接して,小笠原信濃守の屋敷があり,南隣は 加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった。
 明治2年(1869) これらの地は明治政府に公収されて 大学用地となった。
 明治5年(1872)には,この周辺に町屋が開かれ,向ヶ丘弥生町と名づけられた。
 その頃,新しい坂道がつけられ,町の名をとって 弥生坂 と呼ばれた。
 明治の新坂で,また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので,鉄砲坂ともいわれた。
 弥生とは,水戸徳川斉昭侯が,文政11年(1828)3月(弥生)に,このあたりの景色を詠んだ歌碑を,屋敷内に建てたからという。
    名にしおふ 春に向ふが 岡なれば  世にたぐひなき 花の影かな
                               徳川 斉昭
          文京区教育委員会   平成11年3月
由来 他  明治初年に“向ヶ丘弥生町”に新しい坂道がつけられたので,町の名から名付けられた。(標識より)
命名時期  明治時代
参考文献
写真 撮影日  2002年2月 撮影者   M.Ogawa


弥生坂
弥生坂
弥生坂 標識

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