坂のプロフィール 地域・No. 東京・板橋区−31
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年3月11日
2011年09月06日 内容訂正

 

坂名 新田坂 (しんでんざか) 別名 白子坂(しらこざか)
所在地 地図g  板橋区成増2丁目
目印  国道254号(川越街道)の北側を平行する狭い道。坂上は地下鉄成増駅から300mほど北西,途中八坂神社の横を通り,白子川方向へ下る。旧川越街道。
坂の特徴 坂の方向  坂下は南東に,坂上は東南東に向って上り
長さ  300m
傾斜  八坂神社から白子川に向っては急坂(高低差15m,平均斜度2.9度)
形態  やや弓なりに曲がる狭い坂
標識  八坂神社前の空地に「新田坂道祖神等石造物記念碑」と,その横に教育委員会が設置した「新田坂の石造物群」という説明板も建っている。(これらは坂道の標識ではないが,坂名を記した証拠として記録しておく。)

新田坂道祖神等石造物記念碑
    昭和五十九年度板橋区登録有形文化財
      道祖神碑  丸彫地蔵像
      稲荷石祠  大山常夜燈
  平成元年七月吉日
    成増新田坂史蹟保存会

(説明板)
    新田(しんでん)坂の石造物群
 この案内板の前の坂道は,江戸時代の川越街道です。板橋宿の平尾(板橋三丁目)で中山道と分かれた川越街道は,上板橋や下練馬の宿を経て川越城下へ通じていました。街道はこの附近で白子川の作る谷へ下りるために急坂となり,新田坂と呼ばれていました。
 ここに保存されている石造物四基は,新田坂周辺から集められたものです。
 道祖神は,区内唯一のもので,文久三年(1862)に建立されました。もともとは,八坂神社の入口付近にありました。
 常夜燈は,文政十三年(1830)に建立されたもので,成増二丁目34番の角に建っていたようです。「大山」と刻まれていることから道標も兼ねていたのでしょう。川越街道と分れて南へ向かう道は,土支田方面へ通じていました。
 稲荷の石祠と丸彫りの地蔵は造立年代は不明ですが,どちらも大切に保存されています。
 昭和五十九年度,四基の石造物は区の有形文化財に登録されました。
       平成十一年三月
          板橋区教育委員会
由来 他  昔このあたりは成増村の“向新田”と呼ばれ,坂名はこれに由来する。この坂は かつて急勾配の曲がった道で 旅人が難渋したため,路傍に石地蔵を建立して供養した。現在その地蔵は“新田坂の石造物群”の中に移されている。(『郷土 板橋の坂道』による)
命名時期
参考文献  『郷土 板橋の坂道』 いたばし まち博友の会
写真 撮影日  2009-5 撮影者  M.Ogawa

新田坂 新田坂道祖神等石造物記念碑 新田坂の石造物群碑
新田坂
新田坂道祖神等石造物記念碑
新田坂の石造物群碑

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