坂のプロフィール 地域・No. 東京・北区−32
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年3月11日

 

坂名 蝉坂 (せみざか) 別名 攻坂,宮坂
所在地 地図g  北区上中里1丁目
目印  上中里1丁目と 西ヶ原2丁目の境界線上にある 平塚神社の南北に細長い参道の東側に沿って 北に向かって下りながら,大きく東に曲がる 長い坂。

坂の特徴 坂の方向  南西に上る
長さ  280m
傾斜  緩やか
形態  左に曲がりながら上る
標識  坂下の上中里駅前に,北区が設置した標識が建っている。
蝉坂  せみざか
 六阿弥陀道の途上でもある 蝉坂という名称は 江戸時代の後半にはあったようで,幕府の編纂した地誌『新撰武蔵風土記』上中里村の項に「平塚明神ノ傍ニアリ,登リ3-40間」とあり,このあたりから 平塚神社の参道に沿って 約54mから72m余を上る坂道だとあります。
坂を登りきって少し歩くと 日光御成道と合流しますが,西ヶ原一里塚の方向へ右折してすぐに左折すると 六阿弥陀第三番札所の無量寺へと向かう道に入ります。明治時代初期の『東京府志料』では「或云,攻坂(せめざか)ノ転説ナリト」と室町時代の平塚城をめぐる合戦を彷彿とさせるような 坂名の由来を記しています。
 現在の坂道は 昭和18年7月,昔の坂を拡幅してできた道です。
            平成七年三月  北区教育委員会
由来 他  かつて“攻坂(せめざか)”と呼ばれたものが 訛って“蝉坂”となった。 (標識による)
 平塚神社は平塚城の二の丸跡と思われる。城に因んだ「攻坂」の転訛ともいわれるが,城としては「攻」を忌むとの説もある。(「北区の坂道」による)
命名時期  江戸時代
参考文献  「北区の坂道」北区立郷土資料館シリーズ3 北区教育委員会 昭和57年
写真 撮影日  2002年2月 撮影者   M.Ogawa


蝉坂 蝉坂
蝉坂

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