坂のプロフィール 地域・No. 東京・世田谷区−56
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年7月4日

 

坂名 寮の坂 (りょうのさか) 別名 堂の坂(どうのさか)
所在地 地図g  世田谷区尾山台1丁目と2丁目の間
目印  環八通り“尾山台2丁目”交差点から南の三叉路から,宇佐神社の東側を通り,丸子川まで。
坂の特徴 坂の方向  北北東に向かい上り
長さ  330m
傾斜  宇佐神社横付近はかなり急な坂(高低差22m,平均斜度3.8度)
形態  途中カギ形に曲がる
標識  坂上の三叉路角に“寮の坂 右 九品仏駅 左 多摩川”と刻まれだ道標と,大きな石板に 坂道の由来を刻んだ 石碑が建っている。(設置者不明)
寮の坂 由来
 松高山傳乗寺は,区内における古刹であり,その縁起は遠く後伏見天皇の 正和五年(1316)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は 坂の東側台地に所在し,かつ本堂とならんで僧侶の学寮が建てられていたために,この坂道を土地の人は,寮の坂と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことと考え合わせると,この坂の名称の由来が思い起こされる。
 なお,寮の坂の東側にある 雙葉学園 を抱く盆地は,室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で,多摩川の水が滔滔と打ち寄せ,時の奥沢城主太平出羽守は,上流から運ばれた武器,兵糧の類を籠谷戸の寮の坂あたりに陸揚げして城へ運び入れたとも言い伝えられている。
 さらに時代は下り 江戸時代に入ると,川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として小山傳乗寺がこれに当り,寮の坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。
由来 他  現在坂下にある傳乗寺は,かつて坂の東側に本堂や学寮が分布していたため,この坂は寮の坂と呼ばれた。(標識より)
命名時期  江戸時代
参考文献
写真 撮影日  2002年9月 撮影者   M.Ogawa

 
寮の坂 寮の坂
坂名を刻んだ石杭(上)と
坂の由来を書いた石碑
寮の坂

「東京23区の坂」リスト | 全国の坂リスト