坂のプロフィール 地域・No. 神奈川・横浜市西区−14
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2011年1月19日

 

坂名 天神坂 (てんじんざか) 別名
所在地 地図g  西区東ケ丘
目印  京浜急行・日ノ出町駅の裏。跨線歩道橋を渡った先の狭い石段を上る。
坂の特徴 坂の方向  複雑に曲がりながら西に上る
長さ  60m
傾斜  急坂。(階段としては傾斜はあまり旧ではない)
形態  切り立った崖面を斜めに上る階段坂。
標識  途中の曲がり角に 半ば壊れた石碑「天神阪碑」が建っている。(「坂」ではなく「阪」の文字が使われている。)

天神阪碑            (■=碑文を読み取れない)
             吉田愛吾■ 篆額
             大森 ■泉 撰■書
 万治弐年初代吉田勘兵衛諱良信再請幕府■許
 ■■無武陽人良岐郡吉田新田也■■長田村字
 天神山及石川中村字大丸山■以填■■■■文
 七年逐■■■時世一■安政六年横浜為貿易港
 之新田亦■■■明治廿一年九代勘兵衛諱良真
 ■■■太田町字東耕地内所有地即是天神山■
 採場之趾也茲新開阪路以便交通然無阪名千■
 良循命曰天神阪立碑標之後偶値大震災碑倒壊
 ■更建功其梗築如此
   昭和九年九月廿五日 吉田勘兵衛良■ 建之
由来 他  横浜市西区のサイトには次のような説明が書かれている。
この石段が刻む山の名は天神山,高さはわずか45メートルほどだが,その昔,万治2(1659)年 当時材木商で財をなした初代吉田勘兵衛が新田を開発するにあたり,石川中村の大丸山と洲干島と,ここ天神山の土砂を採って埋め立てた。巨費と8年の年月を費やした野毛新田(のちの吉田新田),今のヨコハマの中心である。登り口にその記念碑が建っている。
 石碑は一度真ん中から折れており,壊れた部分に補強板をつけて建て直されており,碑文の一部も読めなくなっている。
 碑文を読解すると,万治二年に 初代勘兵衛が 徳川幕府に吉田新田の埋立てを再請して許可を得て,天神山及び石川中村の大丸山等を切り崩し,その土砂をもって新田を埋立てた土採場の跡であること。これに伴って通行の用に供していた無名の坂道に 十代勘兵衛が“天神阪”と命名した」という由来が記されている。碑は 昭和9年に建てられた。

 坂道は 写真に見えるように,幅2m弱と 非常に狭く,南側は 直角に近いくらいの傾斜で切り立っており,フェンスがなければ足がすくむような道である。

命名時期  明治時代
参考文献  横浜市西区のHP・天神坂の土取場跡
写真 撮影日  2005年11月,2011年3月 撮影者  M.Ogawa

天神坂 天神阪
天神坂 (坂上を見る)
天神阪 (坂上から見下ろす)
天神阪碑
天神阪 碑

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