坂のプロフィール 地域・No. 神奈川・横浜市中区−17
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2011年1月20日

 

坂名 代官坂 (だいかんざか) 別名  ヘキ坂(へきざか)
所在地 地図g   中区山手町〜元町1・2丁目 の間
目印  山手本通りの“代官坂上”交差点から,元町に降りる坂。
坂の特徴 坂の方向  坂下は南に,坂上は南南西に上る
長さ  340m
傾斜  急坂
形態  わずかに左右に曲がりながら上る
標識  坂上に金属円柱型の標識が,また坂の途中に 石板に金属板を張り付けた石碑型の標識がある。
*(坂の途中に設置された石碑型の標識)

代官坂 
 この坂は,山手の丘を越えて北方・本牧へ行く道で,箕輪坂と称していましたが,坂の途中この地に横浜村名主石川徳右衛門が居住していたことから,代官坂と呼ばれています。
 幕末開港前後の当主徳右衛門は,日米和親条約締結のための応接場の設営,食糧,その他の設備一切を掌りました。嘉永7年(1854)3月9日(4月6日)ペリーが横浜村に上陸し住民の暮らしぶりを視察したおり屋敷を訪れ,徳右衛門が供応した様子が『ペルリ提督日本遠征記』に記されています。その後徳右衛門は,横浜町惣年寄となり町政を担当しました。
 明治7年(1874),坂の上(山手町7番地)にバプテスト自由伝道協会のネーサン・ブラウンが教会堂を建て布教の拠点としましたが,火災で焼失し その後,明治27年(1894)ベンネットが横浜第1バプテスト教会と称し,教会堂を坂の途中(現在元町2丁目80番地)に移転しました。大正12年(1923)寿町に移転し,跡地に『日本バプテスト発祥の地』の記念碑を建立しました。
         社団法人 横浜国際観光教会
         横浜市教育委員会文化財課     平成7年3月

*(坂上の金属円柱型標識)

代官坂  だいかんざか
    昭和五十三年 横浜市
由来 他  坂の途中この地に横浜村名主石川徳右衛門が居住していたため。(標識より)
命名時期  幕末〜明治初年
参考文献  『横浜の坂道』季刊誌「横濱」2008年秋号 Vol.22 神奈川新聞社刊
写真 撮影日  2001年8月 撮影者   M.Ogawa

代官坂 (プレート型標識) 代官坂
代官坂 (プレート型標識)
代官坂 (円柱型標識)

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