コラム
コラム ―坂番付表―

番付表といえば大相撲ですが、江戸時代後期には相撲番付にならった「見立番付」が流行しました。商売、名所、食べものなど、さまざまなものが番付に見立てられ、人気や評判が格付されていました。

そうした見立番付の一つに、橋と坂を題材にした「橋坂渡シ案内」があります。江戸時代後期に発行されたこの番付では、東に橋、西に坂を配し、それぞれ101を番付しています。江戸時代に命名された坂はおよそ300坂といわれていますから、その約三分の一が選ばれたことになります。

(※1「橋坂渡シ案内」)
橋坂渡シ案内

時代は下り、昭和になると『上がる坂 下る坂』の付録として「東都坂番付」が登場します。昭和46年(1971)、「坂狂人」の異名を持つ源友雄氏(※4)が、勾配、長さ、曲度、風格、景観、知名度、そして編者の主観によって東都の有名坂466坂をひとりで採点したという、圧巻の坂番付表です。その迫力からは、源友雄氏の坂への深い思い入れが伝わってきます。

(※2「東都坂番付」)
東都坂番付

そして、昭和の坂番付から半世紀余りを経た令和7年(2025)、坂学会も先人にならい坂番付を作成しました。創設から20年をかけて、坂学会ホームページで紹介する東京23区の坂は900を超えるまでになりました。その20周年記念事業として会員に「私の好きな坂」を投票していただいたところ、308坂が選ばれ、これを大相撲番付にならい、得点順に東西へ振り分けて完成したのが、「令和の東京二十三区坂番付」です。

(※3「令和の東京二十三区坂番付」)
令和の東京二十三区坂番付

江戸、昭和、令和――三つの時代の坂番付を並べてみると、興味深い共通点が見つかりました。江戸後期の「橋坂渡シ案内」では西の筆頭、昭和の「東都坂番付」では東の筆頭、令和の「東京二十三区坂番付」でも東の筆頭と、神楽坂はいずれの時代も番付の最上位に名を連ねています。

神楽坂は、寛政4年(1792)に「毘沙門天 善國寺」が移転してくると、縁日へ多くの参詣客が訪れるようになり、武家地から次第に名所に変貌していきました。明治以降はさらに賑わいを見せ、現在も観光、買物、食事、参拝などで訪れる人が絶えることはありません。知名度、歴史、環境と人々を惹きつける魅力を備えた神楽坂。まさに時代を超えて愛される名坂といえるでしょう。

また、江戸で二番手となった名所「九段坂」は、昭和でも二番手、令和では四番手に入り、大健闘です。しかし、そんな名坂を追い越して令和で上位に着けたのは、大正の「のぞき坂」や戦後の「岡本三丁目の坂」といった新しい坂でした。新旧交代の時代に入ったようです。

参考資料:
※1 「橋坂渡シ案内」:千代田区「文化財ニュース第7号」掲載資料より(上位部分のみ掲載)
※2 「東都坂番付」:個人保管資料より(上位部分のみ掲載)
※3 「令和の東京二十三区坂番付」:2025年8月発行 坂学会(上位部分のみ掲載)
※4 参考:1996年1月7日読売新聞「ストーリーof Story 東京の『坂』見直して」
(文:磯谷真理子)